1998

公開した後に書き足すことが多々あります。

アニメ『平家物語』感想 5話

 今回は展開が目まぐるしく、無知の私にとって、人間関係と権力関係が分からなくなった。でも面白いから、すごい。

 前回から、びわが弾く琵琶と白い髪の人の琵琶とうたが混じり始めた。混じり始めた、というのは正しくないかな。びわの琵琶に続いて白い髪の琵琶とうたになっている。

 みなを許す存在である徳子は、母性愛というか、すべてを包む母的存在のようでフェミニズムジェンダー論で批判されるよくある女性像ではあるが、彼女が「許すしかない」状況に置かれ、その選択をしなければ徳子が自分自身をも許せなくなるのではないかと思え、またその許す行為に諦念が混じっているように感じられた。母性的存在へと追い込まれる過程や苦しみが見えた気がして良い。

 しかし、徳子やびわを許す存在はいるのか。許す/許されないの前に徳子とびわは何かをした/できたのだろうか。

 維盛の涙がすばらしいなあ。維盛と戦の場面の演出もおもしろかった。しかし、戦で尻込みしない強さを持つ人物と、重盛や維盛のような戦うことを恐れる人物の造形に偏りを感じるな。後者の方が線が細い傾向にあるように思う。マッチョな感じの人物がマッチョな男性性を備えていないところを見てみたいな。まあ、よく使われるような(教科書とかで)絵を参考にしているだろうから、仕方ないのかもしれないが。

 びわだけが重盛の能力を引き継ぐと思ったら、維盛にも「何か」を見る能力があるらしい。びわだけが背負うことにはまだならなそう。琵琶法師という人物になぜ見る、それも人が見えないものまで見える能力を与えたのだろう。

 瞳をどんどんズームアップしていき、ディゾルブして別の景色へと変わっていくところとか面白かったな。今回一番多く描かれた足は清盛の足だったかな。維盛と戦のシーンだけもう一回見直そうかな。死の象徴としてのカラスだったかな?カラスって不穏だもんなあ。となると、ED(OPにもいたかな?)で飛んでいる鳥の種類と何を表しているのか気になってくるな。今回の絵コンテ・演出、「モコちゃん」って書かれてた。そういう名前で活動することもあるんだね。良いな。

 

★★★★★★★

 OPが進むごとに興味深いものになっていく。OPに「あの花が咲いたのは/そこに種が落ちたからで/いつかまた枯れた後で種になって続いてく」とあるが、このアニメの中で落ちるのが印象的だったものって、花と涙なんだよなと。重盛や維盛の涙も循環するのかな。循環するというより涙=苦しみが受け継がれてほしい。女性はまだ涙を流してない気がしていた。どうだったかな。滞る涙。凝る涙。(萩尾望都の「イグアナの娘」に「母の涙が凝っている」というフレーズがあった気がする。)古川訳の『平家物語』を借りてしまったのだが、読めるかな……… 

 

 

 

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