1998

公開した後に書き足すことが多々あります。

アニメ『平家物語』感想 11話(最終話)

 徳子が出家して生き続ける未来は、びわが助けること込みの未来だったのかな。びわは何もできないと思っていたが、徳子の命を救う事はできた。子が死んでも、生き続ける母・徳子を描き、そして彼女もまた語り継ぐ主体となるのか。

 いやー面白かった。私に金と力があれば52話、せめて26話で作っただろうな。面白かったのだが、もっと描いてほしいことがあった。あくまで元の平家物語を下敷きにしているのだろうから、難しいところはあるにせよ。『アルプスの少女ハイジ』を並行して見ているので、多くの回を重ねてみてみたいと思うのかもしれない。びわと徳子、びわと重盛、びわと維盛、びわと資盛etc.の日常の様子やどんな風に関わり合うのかを知りたかったし、びわが歩き走りどんな空間に生きているのか知りたかった。『平家物語』の登場人物たちがみな好きだなあと思っているからかもしれない。表面的だと感じていた徳子さえも。

 最終回にして何を書けばよいのか分からなくなってしまった。「びわ」の存在は、これから日本アニメをジェンダー論から語る上で外せない存在になるだろうことは分かる。

 びわはこの後どう生きたのだろう。どこで、いつまで、どんな容貌で生き、何を食べ、誰と知り合い、語ることに対してどんなことを思い、語る内容に対する思いの変化を経験したのだろうか。「見るべきものはすべて見た」と、壇ノ浦の戦い後はびわは見えなくなったのかな。

 最初の数話では「女の子」だと二度ほど指摘されていたが、男の格好をして、頭はおかっぱで、成長せず、よく食べ、びわを弾き、先が見え、死んだ者を見ることができるようになり、平家一門の物語を語り、、、

 平家、特に重盛一家とは共に過ごしたわけだが、それでも外側の人間だった。権力争いにも絡むことはなかった。源氏側で噂になることもなかった。つまり、徳子を救う事を除いては、ずっと外部にいた存在なんだよなあ。外部にいたが、でも内部で生活した。びわは平家に守られた存在なのか?周縁にいた人物が歴史を語り継ぐことをどう捉えたら良いのか私には分からない。

 分からないが、祈ることも語り継ぐことも大事なのだということは分かる。祈りも語り継ぐことも他者があってこそのものだもんなあ。蝶、花、目、涙、鳥、死、生、足、祈り、語り。落ち、舞う。批評を読みたい…………分析してーーー