1998

公開した後に書き足すことが多々あります。

『アルプスの少女ハイジ』感想 26-30話

26話

 今回は山の映像が全くなかったな。冷たい水を持ってくることだけが大事で、距離や時間の概念はハイジにとって問題外なのだな。どこで水を汲んでも飲める水なのかな?1話の間で10日も経ったらしい。

 

27話

 今回も山は出てこず。白パンを失ったことはやはり大きかったか。帰る時にはクララが買ってくれると言っているし、カビが生えてしまうから、集めても仕方ないと思っているかもしれないな。クララのおばあさまもかなり癖のある人物だな。クマの着ぐるみ?毛皮?を着て登場するなんて、しかもサーカスから借りてきたもの。ロッテンマイヤーさんもお皿叩き始めたら面白かったのになあ。はじけちゃえば良いのに。

 ハイジは寝るまで誰かに傍にいてもらったことってあったのかなあ。読み聞かせをしてもらえることが絶対的な幸せではないだろうけど、あたたかい映像だった。

 

28話

 やはり今回もアルムの山はない。フランクフルトの生活に慣れて山のことを考えることがなくなったのか、山のことを思い出すことができないほど締め付けられた生活なのか。絵の中の燃える山やおじいさんに似た人物(キリスト?)、ヤギを見ると思い出して、悲しくなるってことは、やっぱり具体的な事物が必要なのかな。ここでも映像は入らないんだよなあ。白パン騒動以降、変化があったかな。

 喜びは高く舞い上がるもので表現される。

 

29話

 クララに呼ばれたら傍に引き寄せられ、クララを置いて遊ぶことはできず、車椅子を押すのはハイジで、ずっと傍にいると誓い合う様を見ていると、クララといることが息苦しくなりそう……と思ってしまう。クララ、子どもの罪悪感を利用して見えない糸で子どもを縛り付ける親みたいに感じる……傍にいる子が心ここにあらずという感じで毎日山のことを考えていたら、それもそれで嫌だろうが。

 ロッテンマイヤーさんをもう少し魅力的に描けなかったかなあ。あまりにも頑固すぎる気が。木の上から茶化していた少年たちを一緒に蝶々採りに参加させてしまうハイジはすごいな。

 

30話

 さすがに蝶々でもあんなにいたら怖いよ。ハイジは基本的に愛される存在だよな。一回一緒に遊んだだけの二人の少年たちもハイジのためにたくさんの蝶々をつかまえてくるんだもん。ロッテンマイヤーさんぐらいだよ、ハイジを変な子だと思ってるの。水面に反射した光の演出方法おもしろかった。今だったら撮影のエフェクトで簡単にできちゃうんだろうけど、当時は工夫しただろうな。

 ハイジはおじいさんから裁縫を習っていたのか。